ひっくりかえした、宝箱。

この瞬間、きっと夢じゃない 。

あの子の息遣いとおたくの夏の記録。

 

言葉にするかどうしようか、

打っては消しての繰り返しをする日々だった。

こわかったのだ。

でも、ゆっくりと深呼吸をして、

一歩だけ足を踏み出してみようと思う。

久々に文字を打っているので、

どきどきしているうちに乾いてしまった唇を

キュッと噛みしめていた。

そのピリッとした感覚に、

"生きている"と実感する瞬間があった。

 

 

 

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「診断結果は、 パニック障害 です。」

 

新型コロナウイルス対策のためであろうアクリル板の仕切りに隔てられた小さな部屋で、先生からそう告げられたのは6日前のことだった。

 

 

パニック障害とは】

突然理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、吐き気、手足の震えといった発作を起こし、そのために生活に支障が出ている状態をパニック障害といいます。

このパニック発作は、死んでしまうのではないかと思うほど強くて、自分ではコントロールできないと感じます。そのため、また発作が起きたらどうしようかと不安になり、発作が起きやすい場所や状況を避けるようになります。とくに、電車やエレベーターの中など閉じられた空間では「逃げられない」と感じて、外出ができなくなってしまうことがあります。*1

 

 

ただただ静かに頷きながら、先生のお話をきいた。

聴いていたつもりだったけれど、今の私の頭は入ってくる耳慣れない情報の物質をうまく噛み砕いて溶かしてくれなかったらしい。

内服治療のお話とか、これからの仕事の向き合い方とか、どうしていこうか?とたずねられたけれど、首を斜めに傾けても何も出てこなかった。そんな私に対して先生は、「ゆっくり考えていけばいいからね」と、声をかけてくださったことだけは覚えている。

 

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はじめてのパニック発作は脳にはっきり焼きついて離れない。

2年前の夏だった。じっとりと湿った雨上がりの暑さが身体にまとわりつく。今務めている会社の内定者懇親会。初めて顔を合わせる役員の方や先輩、同期。緊張もあったが、楽しく談笑して過ごしていたはずだった。

 

しかし突然"あの子"はやって来た。

 

もともとアルコールに強くはないけれど、グラス1杯くらいなら全く問題なかったのに。

あれ、おかしいなドキドキする。

喉がつまる。

目眩がして視界が霞む。

呼吸が上手くできない。

自分が自分じゃなくなってしまうのではないかという恐怖が身体につき離れない。

焦れば焦るほど、

あの子は私を苦しめた。

嘲笑うかのように。

 

 

あまりの様子に救急車を呼ぼうかと言われたが、入社前にそんな迷惑かけられないという気持ちのが大きく、同期に支えられながら御手洗に行き、必死に自分に対して「落ち着いて、もう大丈夫だから、お願い、あなた はどこかにいって」と訴えかけた。どうにかおさまるまで15分くらいだったと思う。人生でいちばん長く感じた15分だった。

 

それが あの子 との出会いである。

 

そこから年に数回、あの子 は突然私の前に現れるようになった。気まぐれに。 最初の発作があった会食のような場、カラオケ、カフェ、会議室、ついにはコンサート会場に劇場まで。

 

そのたびに、私は あの子 と交渉しなければならなかった。

どうして今現れるのか。

どうして大切な時間を奪っていくのか。

乱れた呼吸と朦朧とする意識のなかで、あの子に心身が侵食されていく感覚は、私に死に対する恐怖を植えつけじわじわと根をはらせていた。

 

この時点で病院に行っていればよかったのではないか、と思う方もいるだろうし、もしも次に、あの子 が現れたらいくべきかなあと考えていた。しかし、問題があった。

 あの子 は本当に気まぐれな性格だったのだ。

 

目を閉じで あの子 に対して大丈夫、大丈夫だから......といいきかせれば機嫌がよかったのだろうか、そこまで暴れず数分でおさまることが多かったり、どこかに旅にでも行ったかのように数ヶ月現れなかったりなんてこともあった。

 

だから、新幹線や夜行バス、電車に乗り、趣味の小劇場を中心とした観劇にも、アイドルのコンサートにも足を運んでいた。お友達と美味しいご飯を食べたり遊んだり。時々胸がざわついて発作が出そうだなと思った時もあったけれど。異変に気づいていた友人もいたかもしれないのかな。でも、全部どうにかして過ごせてしまっていた。

 

 

そんなことをしているうちに

いつの間にか薄れていたのだ。 

あの子 の存在が。

そんな簡単には離してくれないってわかっていたのに。

 

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2020年6月初旬。

気温差の激しい日が続いていた。6月にしては気温が高く、まだ身体が暑さになれていないから熱中症に警戒するよう気象予報士の方がお話していた記憶がある。新型コロナウイルスの影響で外出自粛やテレワークが推奨されるなか、5月から配属された研修先に片道1時間半弱かけて通勤し、日々業務に取り組んでいた。仕事は施設内を歩き回るため、体力は多少使うものの新しいことをするのは新鮮だったしそこまで苦には感じていなかった。

 

それでも知らぬ間に、私の身体はストレスというものを溜め込んでいたらしい。新しく覚える業務の連続、同年代や同性のいない職場、暑い外気と寒い事業所の温度差、職場で絡み刺し込まれる結婚やお金など仕事に関係のない話、先の見えない新型コロナウイルスの恐怖と通勤時間と満員電車、などなど......ちいさなことが積み重なっていった。

 

そしてそんな煙たいにおいを嗅ぎつけたのか、 あの子 がまた背後にせまっていた。

私は気がつかなかった。

 

それは、昼休憩のご飯を食べている時だった。

食事中に寒気がした。きっと事業所がまた寒いからだろうと上着を羽織って食事を再開するがなんだか動悸がする。脈がはやい。風邪?まさかあのウイルス?色々な不安がぐるぐると頭を駆けめぐった。喉がつまった感じがする。ご飯をまだ3口程度しか食べていないのにお腹いっぱいな気がする。胃が重たい。

 

嫌な感覚が身体に染みついたまま、午後の作業に取りかからなければならなかったのだが、30度近い気温にも関わらず上着を羽織り寒がる私をさすがに先輩方が心配し、とりあえず作業現場の屋上にいるだけでよいからと、屋上で1人先輩方の作業が終わるのを待っていた。

 

屋上には給排気や空調に関わる設備が多くあり、かなり大きな音がする。普段ならばそこまで気にならないのであるが、あの日はちがった。

1人だけぽつんと立ったている屋上、空気が循環する音が響き渡る。

 

「あ、この音だめかもしれない.......」

と思った時には遅かった。

 

あの子 が突然暴れだした。

 

動悸、息切れ、目眩、寒気、自分をコントロールできない恐怖感。

助けを求めようとしても近くに人はいないし、呼吸が乱れて息苦しい。

死んでしまうのではないかと怯えながら、

その場にしゃがみこんで、

ただひたすら あの子 が落ち着いてくれるまで

耐えるしかなかった。

 

しばらくして先輩方が戻ってきた頃には呼吸はやや落ち着いていたが、今までにない倦怠感と息苦しさが残っていたのでその日は早退させてもらい、おぼつかない足取りで電車に乗り、やっとの思いで帰宅した。ベッドに倒れ込んで肩で息をするのが精一杯だった。熱は無いが新型コロナウイルスだったら...と念の為、保健所にも連絡したが、様子を見て医療機関を受診してくださいとしか言われなかった。(それはそうなのだが。)家に置いてあった経口補水液を口に含み、目を瞑った。ただただ落ち着くことを願って。

 

次の日、呼吸はできてきた。

生きのびたと思った。(大袈裟かもしれないが)

ただ、頭では仕事に行かなければならないとわかってはいるのに、身体が重たい。

お腹が空かず、ご飯も喉を通らない。

脱水症状か、やたらと口が乾いていた。

職場に休みの連絡を入れ、横になった。

 

動けるようになった頃に消化器内科を受診し、ストレス性の胃腸炎だろうと言われた。処方された薬をのみ、ご飯は食べられそうなものだけを食べた。その後はだいぶご飯が食べられるようになったので、もうそろそろ治っただろうと思っていた。この頃は。

 

あの子 がいつもより長く横によりかかっていたことが気にかかっていたのだが。

きっとこの時も、まだ あの子 は身体を蝕むように根を張り続けていたのかもしれない。

 

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1週間で消化器内科の薬をのみ終える頃には、かなり元気だった。通勤し、以前のように業務に取り組んでいた。

 

はずだった。

 

数日後、

あれ?胃が重たい。また食欲不振になった。不安を感じると喉がつまって息が苦しくなる。口が乾く。身体が火照る。と思えば、寒気がする。職場の方が長袖を腕まくりして扇風機を回す中、私は長袖に上着を羽織り、ブランケットを抱える。体温調節のネジがおかしい、まるで1人冬の装い。

加えて、誰かの高笑いや独り言、怒った声、機械音、電車内の会話、空き缶をカンカン机に叩きつける音、周りの生活音がやたら気になる。というより、耳に入ってくるたびにイライラしたり、集中できなかったり。音に敏感になった。

 

そんな日が4日ほど続き、心身が衰弱していった。食べ物を見ても美味しそうに見えない。大好きであれほど応援したいと思っていたアイドル・アーティストを見る余裕もない。音楽も聴くことができない。自分ではどうしてよいか分からなくて、歳の近い人事の先輩にとうとう泣きながら電話をかけた。

ご飯がほとんど食べられないこと、このままじゃどうなってしまうのか分からず怖いこと、仕事は嫌いじゃないのに行かなければと思うほど息が苦しくなること。

他にも話した気がするけれど、とにかくこの状況から解放されたい気持ちでいっぱいいっぱいだった。

 

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先輩に話を聴いてもらった後、テーブルの上にはくしゃくしゃになったティッシュが積み重なっていた。誰かの前で悲しくて苦しくて泣くのは好きじゃなかったから、こんなことは初めてだった。

 

数日後、会社と産業医の先生と面談し、自律神経の乱れと音に敏感になっているからまずは心療内科(精神科)の受診の指導を受け、あの子の正体はパニック障害 だと正式に診断されたのである。

 

今回は環境の変化(仕事関係や気候、コロナウイルスなど)を中心としたストレスによる自律神経の乱れにより、短期間に連続した発作や症状が起こることが原因で、あの子 がどうやら根を急速に成長し続け、心を覆いつくし、貫通させてしまったらしい。

私の場合は、今まで忙しさで寂しさを埋めてきた(気付かないふりをしてきた)ような人間だったらしく、外出自粛や研修の身のため業務が早めに終わり余分な時間が増加したことより、寂しいことや不安なことを考えることが増えたことも悪化に繋がっているそうだ。

 

あの子 根を取り除くには、あの子 の好物であるストレス状況から遮断することが最も短期間で改善する1つの選択らしいが、今後のあの子 仕事との向き合い方は経過をみてゆっくり決めていきましょうということになっている。

 

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落ち着かずしんどい時もあるが、とりあえず電車には乗ることができている。研修も配慮してもらい、できることだけやらせてもらっている。

 

ただ、薬の影響もあるだろうからと、1週間会社がお休みをくれた。(できるかぎり不利にならないようにするという優しい言葉の配慮付き。有難いことである。)社会人の夏休み残り2日。今は実家で澄んだ空気を吸い、猫のふわふわとした頭を撫でながらこの文章を綴っている。

 

不安はもちろんある。

これからのこと。

あの子 といつまでおつき合いしていくのか。

わからないことだらけだ。

 

でも、

大きくなった あの子 に対して絶望感より、2年経って、私がようやく向き合う姿勢ができたと感じる部分が大きいかもしれない。昨晩だってあの子 が悪戯をしに来ていたけれど。

どうしたら 仲良くしてくれるかな。

 

 

 

きっとこの文章を読んでくださったのは、Twitterのフォロワーさんが中心だと思うので、私からの願いを書いておきます。

 

ご飯が美味しく食べられるうちに食べて、

身体が動かせるうちにたくさん動かして、

笑える時に笑って、

誰かとお話をして、(お手紙なんかもいいね)

心と身体の健康につとめてください。

あ、でも無理はしないでくださいね。

心身の健康より、

大切なものは恐らくありません。

 

 

そして、いつも優しく見守ってくれているお友達の皆さま(フォロワーさん)、ありがとうございます。特に、SNSを見ることも避けていた時に心配してお手紙をくれたり、メッセージをくれたり、サプライズでプレゼントが届いたり。ゆっくりにはなりますが、愛をお返しさせてくださいね。

 

 

それでは、長くなってしまったので本日はここら辺で。

今まで観劇したチケットをノートに整理してこよう。

次、劇場やコンサートに足を運べるのはいつだろうか。

 

 

 

彼らの息遣いを、

肌で感じられた日が恋しい、

そんな夏 。