仮面の内側。
【Q:あなたはどんな人ですか?】
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今のわたしは、 落ち着いている という印象を持たれることが多い。
高校の頃の部活動のチームメイトには「相手が来ても焦らずポーカーフェイスでプレーできるよね」と言われていた。大学の部活動の作業では「よく黙々とできるね」と言われることもあった。
そういう落ち着いているという印象を持たれることに対して自分自身としては、まあ騒がしいところよりも、安らぎを求めるヒトであるし、ハキハキ喋って元気がいいというよりは、のんびり思索に耽るヒトであるからそうなのかもしれないと思っている。そういうのが自分なんだろうなと。
そういう 落ち着いている ヒトとして存在するようになったのは、
幼少の頃から、というわけではなかった。
幼少期はむしろ、 おてんば・活発・おしゃべり の三拍子が揃うこどもだった。
「ちびまる子ちゃんやDr.スランプのアラレちゃんのような天真爛漫な子」と小さい頃に言われたことがあるくらい、今のわたしとは異なる性格であった。
じゃあいつから変わったの?というと、おそらく小学校高学年から中学生の頃くらい。
きっかけは何なのか?というと、おそらく余計なことをぺらぺらと話しすぎて怒られたという親から怒られるこどもにありがちなエピソードがはじまりだったんじゃないかと思われる。
あとは交友関係で色々とあったな、そんな年齢だった。
当時は本当によくしゃべるこどもで、最近あったできごとを自分の親だけでなく親の友人にも話す勢いであった。いい意味でも反対の意味でも、井戸端会議の話がどんどん外に広がっていくということを、こどものわたしが知っているなんてことはなかった。そういったことに対して気をつけなさいという意味で親が怒ってくれたことをあの時は理解できなかった。(今考えれば、怒ってくれたことはありがたいことである)
交友関係だって、その年齢にありがちないざこざだったと思う。正直、あまり覚えていないけれども(思い起こそうとしていないのかもしれないが)。
今は意味があって怒ってくれることは貴重なんだと感じるようになったが、あの時から気づけば怒られることから避けることばかりを選択するような、周りの目を気にすることばかりに思考の先が向くようになっていった。
周りの目を気にするようになって、必然的に「周りと比べて自分は……」と比較するようになった。「わたしより忙しい人なんてたくさんいるのになんで自分は頑張れていないんだろう」とか「周りがこうだからわたしもやらなきゃ」とか。
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『ひとつひとつのことをちゃんと積み上げていくことができる人だよね』
今日、そんな言葉を部活動でお世話になっている大人の方にかけていただいた。
「でも、いま完了できていない作業もあるし、自分の家の片づけもままならくて、そんなことないんです。」
と、わたしが言った。
すると、その人に
『本当にいつもきちんとやっていてすごいと思う。でも、まだまだだめだとか、他にもっとすごい人はいるとか、自信ないように言うのもったいないよ。他の人と比べているけれど、それって自分にとってなにかメリットってあるのかな?』
と問いかけられて考えてみた。
が、考えてみるとこれといったメリットが浮かばなかった。
今まで気づかなかったが言われてみれば確かにと驚いた。
さらに、
『できないとか足りてないとかって思っていることがあったとして、何があればできるようになると思う?
「やるべきこともどれから手をつけていいのかわからなくなっているから、マネジメント……ですかね」
『マネジメントか!じゃあ、今は部活動をやっているけれど、自分のするべきことってなんだと考えてる?」
「選手やスタッフの求めていること+αのことはしていきたいです」
『その+αを提供するためには何をしたらいいんだろうね?』
「監督や選手に対してこんなこともしたほうがいいかな、でも今は大丈夫かな?と思った後、そのときやっておかなかったことで後々やっておけばもっといい促しができたと悔いることが多いので、まずは行動してみることも大事かなと思いますし、行動するためには自分に自信がいる、あ……」
その方と話していてここで気づいた。
一周まわって、わたしがこれからしていくべきことに。
そんなわたしに、
『お、ぐるぐるして自信を持つことに戻ってきたことに気づいたかな!もっと自分のことを認めてあげないと、ほかの人のことも認めてあげられなくなっちゃうんだよ。自分がいやだなあって認めてあげられない部分があると、仮面を被った偏った視点しか持てなくなっちゃう。だから、ほかの人と比べないで自分で自分のいいところはいいんだって素直に認めてあげることも大事にしてみてね。それでもできないこととか出てくるかもしれないけど、こういうところも含めてわたしなんだからいいじゃんって思っていいんだよ。そうしたらもっと広い視野を持てるようになるし、もっと素敵な人になれるよ。こどものころの自分らしさも愛してあげていいんだよ。今日みたいに誰かに話してみることですっきりすることってあると思うから、いつでも相談してね。○○ちゃんがいい方向に歩んでいけるように一緒に考えたいって思ってるし、それが自分の幸せだから。』
と、あたたかい言葉で寄り添ってくれた。
ほんの少しの余裕と、自分を認めてあげること。
これからのわたしの軸になりそうだ。
心にいる昔の自分を思い出して、出てきてもいいんだよ?って伝えてあげよう。
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なんだか大吾さんのHug&Smileを読んだ時のような、
そんなあたたかさを感じた今日だった。
胸が苦しくて眠れない夜だって、
心が張り裂けそうになることだって、
なんだってある。
それでもいい。
あなたがいてくれて、
あなたが笑っているだけで、
ぼくはそれだけでいいんだ。
それだけで心が洗われる。
明日に向かって強く生きようって思える。
あなたがもし、
ぼくと同じようなことになったら
次はぼくが側にいるよ。
あなたのそばで笑っているよ。
あなたがぼくにしてくれたように。
物理的に近くにいられないかもしれない。
でも、ちゃんと気持ちは側にいます。
だから笑っていよう。
つくづく愛に包まれ、守られている。
それは家族、友達、仲間がいるから。
そしてあなたも。
キレイ事かもしれないけど、
愛は性別だって、年齢だって、国境だって、
なんでも超えていく。
人生、別にキレイ事でもいいじゃない。
それであなたも幸せなら。
いつもありがとう。
これからもありがとう。
あなたにHug&Smileを。
Letter by 西畑大吾